🌷May.16th,2020付 警察犯罪 島田事件と赤堀政夫様🌷
2020_05_16付 警察犯罪 島田事件と赤堀政夫様
この文章は、島田事件と赤堀政夫様の事件を、赤堀政夫様 2003.11.22 (介護者 大野萌子様)の書簡となります。私の個人見解は、一筆も加えておりません。
・・・・・・・・・・・・
私は無実の死刑囚赤堀政夫と申します。1954年5月24日岐阜県の鵜沼で不当逮捕され、以降34年8ケ月余を監獄に拘禁され、1989年1月31日に静岡裁判所において再審を勝ち取り解放されました。逮捕されてからの裁判や、それに加えて再審の闘いは想像を絶する長さで、まさに死闘というべき時間を費やしたとおもいます。そして、それで私が失ったものは青春のすべてと、殺人者の汚名をませられた私のプライドです。いまもそれらはズタズタなまま、老いを迎えた人生になってしまいました。
私を巻き込んだ「デッチ上げ」の死刑囚生活は毎日が過酷でした。毎朝「お迎え」と称する時間帯に、「今日は私を殺しにくるのではないか」とおびえました。当たり前のことですが、確定し死刑囚は「死を待つ人」で、それ以外に生きる目的はありません。そして処刑の実態は「即日執行」といわれ、当日いきなり「お迎えだ」と宣告されるのです。朝はその「お迎え」の時間帯で、予告なくいつ私を迎えにくるかわかりません。死刑が執行される朝は、場内アナウンスが流され、すべての収容者に「舎房の扉を背にして後ろ向きに座れ」と命令されます。
そして監獄の静寂を破り、隊列を組んだ刑務官(警備隊)が「ダッダッダ」と足音を立てて通り過ぎてゆきます。通り過ぎなければその舎房の人が命日となります。刑務官の足音は「今日は私ではないか?」と 死刑の恐怖をあおりたてます。そして、「人殺し」の汚名をきせ、屈辱的な扱いを受けた者には35年はあまりにも長く、死刑囚にまつわるさまざまな問題も簡単には、語れるわけはありません。
逮捕の不当
私を不当逮捕したのは無論静岡県の島田署の警察官です。逮捕時、私はどういうわけか「全国指名手配」にされていました。今もってそれは納得ができていません。なぜなら島田事件と私を結びつけるものは皆無であり、逮捕されるいわれはないからです。そうして始まった違法捜査は、デッチあげ事件特有の見込み捜査以外にありません。
見込み操作で人私をしょっぴいたのは、当時「浮浪生活者」の私の不在証明ができないのを、当局はきちんと計算に入れていたものと思います。
そして不当逮捕の岐阜県「鵜沼」から島田へ連衡された私は、マスコミに囲まれるようにして写真を撮られ、翌日には「犯人捕わる」の見出しで私を犯人に仕立てあげました。これは島田署の犯人説に、マスコミが加担した典型的なものに違いありません。無実の死刑囚でっち上げの前哨戦といえるマスコミの犯罪行為です。
そして、いまもロス疑惑の三浦和義さん、松本サリンの河野義行さんにその当時と同様の問題を感じます。私の人権や逮捕の不当性を誰かがかばってくれたでしようか。いまも強い怒りを覚えます。
拷問と強制自白調書
そして、不当といえば、皆様に是非理解してほしいのは「強制的に自白調書」を取られたいきさつです。 センセーショナルな事件(久子ちゃんという6歳児の殺人事件)で社会的関心も高く、留置所に収監されている私を、梯子を掛けて写真に収めることに奔走したマスコミ。
拷問捜査で悲鳴を上げる私の声を聞かれまいとする警察。そのどれもが外部に悟られないために私は島田署の署長官舎が取調室でした。代用監獄の典型です。殴る、蹴る、手足をねじる、トイレにもいかせない。そして私の手を持って「強制自白調書」へ私のサインを強制的におこなったのです。代用監獄がデッチ上げの温床といった学者がいるそうですが、まさに私は代用監獄の犠牲者です。これを許すことは絶対にできません。
それに加えて声を大にしたいのは、日本の裁判は「自白を証拠の王」とすることです。
つまり自白偏重主義ですが、それにはいま多くの人の批判があります。私のようなケースに持ち込めば、完全に密室代用監獄の強制自白調書となり、私のような犠牲は後をたちません。私は代用監獄の乱用を批判し、即刻廃止することを訴えます。
私の裁判
私の裁判は静岡地方裁判所において開廷されました。弁護士は鈴木信雄先生と大蔵先生でした。検察側の立証を突き崩す私のアリバイ証明が当初の重要な先生たちの仕事でした。
私の記憶が正しく、無実の確信を深めて行かれた先生方には、検察の証拠とする「殺害順序」に関する司法鑑定の矛盾が暴かれたりしました。所詮でっち上げには「ボロ」がてるものです。
先生方は、このまま裁判の進行があれば「死刑」は免れないと危機感を募らせておられました。
そうした中で私が「精神病院入院歴」のあることを思い出され、弁護士から「精神鑑定」を申請、それが受理され、私は東京の「松沢病院」に移送され、「精神鑑定」をうけました。
私は精神鑑定医に、「自白は強制されたもの」「無実であること」その上で「アリバイに関する答弁書」を書いて医師たちに提出しています。
その私の「答弁書」に対し、精神鑑定人には、検察官提出の「強制自白調書」が唯一でものでした。 本人の私と検察官の言い分が異なると、医師たちは自白剤といわれる「イソミタール」を私に注射して自白をせまりました。私は何を話したか覚えていません。
かつて獄中から大野萌子さんに出した私の手紙の引用させていただきます。
「警察官ノ人タチガツクリアゲタギサクノ調書ヲバ見ながら、イロイロと事件問題について質問をするのですよ。 その前にマスイヤクノ イソミタールという注射をば、ウデニウチマシタノデス。アタマの方は、ボートナリマス。イロイロト質問をしたが、私の方はクスリガキイテイルノデスカラ、ナニヲハナシタカゼンゼンワカリマセンノデスヨ。 私は人をころしてはいませんのです。犯人ではないのです。ハッキリ先生方に向かってこたえましたのですが、ムダデアリマシタ。ムリヤリ仮自白ヲサセタトキト同じです。ヒドイデス。ヒキョウナヤリ方です。」
医師たちは私の言葉を無効化しました。私への差別性は「精神障害者」ならやりかねないとする予断と偏見です。
鑑定主文では『軽度の精神薄弱者で感情的に不安定、過敏で衝動的な面もある』と結論づけていたのです。
それをうけて、裁判官は判決文では次のようにのべました。
「かかる行為は、おそらく通常の人間にはなし得ない悪虐非道・鬼畜にも等しいものであるといわざるを得ないであろう。(中略)被告人は先に認定したとおり、知能程度がひくく軽度の精神薄弱者であり、その経歴を見ると殆ど普通の社会生活に適応できない」と断じました。私は無実です。
監獄の中で
私はやってもいない「罪」で死刑囚に落としこめられました。いまも悔しくて悔しくていまも、警察、検察、裁判官を一時も忘れることはできません。
死刑囚時代の私はデッチ上げの無念さと、遅々として進まない裁判に幾度となく絶望しました。
いま、確定死刑囚は家族以外の面会を拒否されていると聞きますが、私のような時間との対決を行った者は、死刑囚の面会拒否は社会との接点を失い、人間らしさも喪失します。
それに対しては、外部交通権の「面会と文通」は死刑囚の命綱となります。「心情安定」のための面会制限を主張する法務当局の狙いは、いつでも「死刑執行」をえるためで、当局のご都合主義にあるでしょうか。諸外国でもこうした死刑処遇はないはずです。
伝聞ですが、フランスでデッチあげられ、その後無実を獲得した「ドレフェス」は、監獄の中にいる時間を次のように言っています。「一時間が一世紀のように長い、長い、長い・・・・」と嘆いたと聞きます。
それは実感として私に理解できます。皆様には理解の限界を超えている問題だとおもいます。
でも、僕たち元無実の死刑囚には、その途方もない長い時間を、死刑におびえ屈辱に耐え続けてきました。
終わりに
「死刑は何も生み出すものがありません」
「死刑は殺す側の刑務官も傷つき、深い悲しみや、やりきれなさを残します」
「死刑は無実のものを死に追いやることがあります。レプラの藤本さんは冤罪者の可能性のまま処刑されました。」
「死刑は人間の理性をゆがめます。殺しは悪であることを知らしめ、人間の尊厳をおとしめるでしょう」
私は再び訴えます。
無実の死刑囚をこれ以上出さない為、冤罪多発のこの国のデッチ上げを許さないよう、司法当局の監視を強めてください。
いま、とらわれている無実の死刑囚袴田巌さん、名張毒ぶどう酒事件の奥西さんの解放を全力で取り組んでください。皆様にお願いします。
いま、法務省は名古屋刑務所暴力事件を発端とした、「行刑改革委員会」を行っています。
代用監獄のこと、確定死刑囚の外部交通権の禁止を多くの人々に訴えてください。そして一日も早い死刑制度の撤廃を私は強く訴えます。
赤堀政夫様 2003.11.22 (介護者 大野萌子様)
・・・・・・・・・・・・








































































































































